鴻朧館
游月山荘

有馬温泉 月光園便り

有馬温泉 月光園よりお得な情報をお伝えします。

【有馬温泉月光園便り】有馬マニア 〜有馬の起源、地名の由来


今日の月光園便りは有馬という地名の語源についてのお話です。

有馬という言葉、ぱっと言われても意味がわからないですよね。
馬が有る、というところから来たというわけではなさそうですけど、、、

どうもこの言葉、アイヌ語が起源ではないかという説があります。
アイヌ語で「燃える谷」を意味する「アリマ」が起源ではないか、というのが1つの説として出ています。
有馬に限らず、日本全国の地名にアイヌ語起源の可能性があるケースもみられるようですね。
ただ、まだまだ一説という範囲を出るものではないようです。

その他に、古代日本語において山をアリと表現することが多いことから、有馬が「山間の土地」を意味するという説もあるそうです。
有馬という地名の起源、まだまだ藪の中といったところでしょうか。

この有馬という地名、実は他にも数ヶ所あります。
長崎県南島原市(旧南高来郡)、神奈川県川崎市、神奈川県海老名市などにも有馬の地名があります。
海老名市には有馬図書館という市立図書館も存在しています。
さらに遠くタイのバンコク、パッポンという歓楽街にずばり「有馬温泉」という名前の古式マッサージ店があります。
これはもちろん、神戸の有馬温泉の名前を使ったものですね。

他の有馬はどれも温泉地というわけではありません。
そこから考えると「山間の土地」という説は結構有力なのでは、とも思えます。
機会があれば、他の有馬の地も一度は訪れてみたいものです。

※参考文献・・・「北摂三田の歴史」北康利著

平成18年9月20日(水) 有馬温泉月光園 奥平

【有馬温泉月光園便り】有馬マニア 〜有馬焼きとは?


今日の月光園便りは有馬マニア第4弾、有馬焼きについてのお話です。

日本料理の世界では有馬焼きといえば山椒焼きのことを言います。
山椒を溶かし込んだ調味液に漬け込んで、それを焼くという料理法です。

有馬焼きだけでなく、有馬煮など実山椒を使った料理法は全て有馬の名前が付いています。
これは昔、有馬が山椒の産地だったことに由来するようです。
現在の有馬で山椒を作っているという話は寡聞にして聞かないのですが、料理法の名前としては今も残っているようです。

他にも料理名に地名がついたものは多いですよね。
ただ、それも正確に名前を使っているものばかりではなく、誤解やいい加減なものも数多くあったりもします。
フレンチ・フライは実はベルギー発祥の食べ物、なんていうのもその最たるものでしょうね。
最近読んだ「食の世界地図」(21世紀研究会編)という本にはそんなうんちくがいっぱいでした。

当館でも丹波地鳥の山椒焼き、つまりは有馬焼きの別注料理を用意しております。
200gほど、3,675円にてご用意しております。
ぜひ有馬にお越しの折は地元の味の有馬焼きをご賞味下さい。

平成18年9月15日(木) 有馬温泉 月光園 奥平

【有馬温泉月光園便り】有馬温泉から六甲山 ヒダカミセバヤ

【有馬温泉月光園便り】有馬温泉から六甲山 ヒダカミセバヤ、ヒゴタイ

六甲山より今週のお花
六甲高山植物園ではヒダカミセバヤ、ヒゴタイが見ごろを迎えています。

ヒダカミセバヤ(日高見せばや)ベンケイソウ科<写真上>
日高山脈など北海道に自生する山野草です。
絶滅危惧Ⅱ類(絶滅の危険が増大している種)に指定されています。

カタカナで書くとなんだか呪文みたいな名前ですが、「だれに見せばや」つまりは誰かに見せたいという古語がミセバヤという名前の由来になっています。
誰かに見せたくなるぐらいの美しさ、というだけあって美しい紅色が印象的な花ですね。

このヒダカミセバヤの花言葉は大切なあなた、というものがあります。
この花そのものが大切なもの、とも言えますよね。

ヒゴタイ(平江帯)キク科<写真下>
きれいな瑠璃色をした球状の花です。
草原に生える多年草で、氷河期に日本と朝鮮半島が陸続きだったころに日本に渡ってきた大陸系遺存植物です。
そのため、かつては九州を中心に分布し、普通に見ることができたそうです。
しかし今や絶滅危惧IB類、つまりは近い将来に絶滅する危険性が高い種に指定されています。

このヒゴタイという名前、もともとは中国の名前で、「ひんごうたい」と読んだようですね。
漢字名では肥後躰、平行帯とも書くこともあるようです。

六甲高山植物園では9月16日より10月9日まで、絶滅危惧種展が開催されます。
高山植物園内の絶滅危惧植物の紹介やパネル展示、講演会などが行われます。

絶滅危惧種展のご案内はコチラ
※現在は終了しております。

なかなか見れない貴重な花々。
有馬にお越しの際はぜひ六甲山まで足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

平成18年9月12日(火) 有馬温泉月光園 奥平

【有馬温泉月光園便り】今日は記念日いっぱい、重陽の節句


今日は重陽の節句、菊の節句です。
陽数(奇数)の極である9が二つ重なる日で、昔は大変めでたい日としてお祝いされていました。

この重陽の節句、江戸期までは武家の祝日として、明治期には庶民の休日として祝われていました。
お酒を酌み交わしたり、栗ご飯でお祝いをしたりといったことが行われていました。
平安時代には前日から菊のつぼみに布の袋を被せ、その香りのついた布で宮中の女官たちが体を撫でる、といった凝った風習もあったようです。

ですが現在、この重陽の節句は端午の節句や七夕の節句に比べて随分とマイナーな存在になっています。
子供の頃、なんで9月9日はお祝いしないんだろう、縁起が悪いんだろうか、とよく疑問に思っていました。

どうもその原因としては、旧暦から新暦に切り替わったことが大きいようですね。
旧暦の重陽の節句は現在の暦で言うと10月ごろにあたります。
そのため以前は米の収穫が終わってひと段落ついた時期であったのが、今では刈り入れ前の時期にあたり、さらには菊の節句なのに花の開花時期がすれてしまったことが、大きく関係しているようです。

さらに今日は9月9日、「きゅう(9)きゅう(9)」の語呂合わせで救急の日です。
厚生省(現厚生労働省)と消防庁によって、救急医療についての知識を深めてもらうために1982年に制定されました。
そして世界占いの日、ケンタッキーのカーネルおじさんのカーネルズデー、大分県九重町が制定した温泉の日、おもちゃのタカラが制定したチョロQの日、さらには兵庫県東浦町の吹き戻し保存協会が制定した吹き戻しの日でもあります。

これだけたくさんの記念日が被っている日も珍しいですよね。
ちなみに温泉の日は九重町が九重九湯と呼ばれることからついたもので、有馬温泉には直接関係ないのが少し残念といえば残念ですね。

本日は古式ゆかしい重陽の節句。
せっかくなので栗ご飯でお祝い、というのはいかがでしょうか。

    有馬温泉月光園 奥平

【有馬温泉月光園便り】有馬マニア 悲劇の有間皇子(ありまのみこ)と有馬温泉


今日の月光園便りは飛鳥時代の悲劇の皇子、有間皇子の話題です。

有間皇子は孝徳天皇と阿倍内麻呂の娘、小足媛(おしたらひめ)との間に西暦640年に生まれました。
孝徳天皇がまだ皇太子の軽皇子だった頃、小足媛と有馬温泉滞在中に生まれたとされることがその名前の由来と言われています。

孝徳天皇の治世はかの有名な中大兄皇子、後の天智天皇に実質的な権限を握られていました。
孝徳天皇は当時の難波宮から大和への遷都に反対したため、都に一人残されて寂しく世を去ることとなりました。

孝徳天皇の崩御の後、中大兄皇子の母が斉明天皇として2度目の即位を果たします。
そこで次の天皇候補として有間皇子が表舞台に登場します。

有力な皇位継承者となった有間皇子は中大兄皇子に疎まれ、身の危険を感じます。
そこで有間皇子は難を逃れるため、病気のふりをして自分には皇位を継ぐ意志がないことを示そうとします。

その後有間皇子は紀伊の牟婁の湯(現在の白浜温泉)を訪れ、そこで快癒したとされます。
都に帰った有間皇子は斉明天皇に牟婁の湯の良さを称えました。
この話を聞いた斉明天皇は翌年、牟婁の湯への行幸を行います。

斉明天皇の行幸の間に、有間皇子は蘇我赤兄という豪族にそそのかされ、謀反を決意します。
これは有間皇子の存在が邪魔であった中大兄皇子の策略であったという説が根強くあります。

この有間皇子の変は早期に露呈し、有間皇子は捕らえられて紀伊に行幸中の斉明天皇に引き渡されます。
そこで有間皇子はわずか19歳という若さでその生涯を終えることとなりました。

有馬温泉に生まれ、白浜温泉でその短い人生を終えたという有間皇子。
今も白浜の地には有間皇子神社という神社があり、有間皇子の悲劇を今に伝えています。

※行幸・・・ぎょうこう、みゆき。天皇が外出すること。何かの目的を持ってではない外出のことを指します。
姫路市のみゆき通りは明治天皇の行幸からその名が付けられました。

    有馬温泉月光園 奥平