鴻朧館
游月山荘

有馬温泉 月光園便り

有馬温泉 月光園よりお得な情報をお伝えします。

【有馬温泉月光園便り】金泉と商標登録


有馬のお湯と言えば赤湯、金泉が有名ですよね。
ただこの「金泉」という言葉、商標登録がされています。有馬温泉旅館共同組合によって登録されており、組合の許可なく金泉の名称を商品として使うことはできません。「銀泉」ももちろん商標登録されています。

昔からある有名な名称が商標として登録されるケースは全国に広がっていますが、有馬温泉の金泉もその1つです。こういった商標によって、金泉というブランドイメージを保つための措置だと思います。

以前ご紹介した新しいお土産も実は『金泉焼』ではなく、『金ノ泉焼』が本当の名称です。金泉という名が使えないからですね。

写真は当館游月山荘の男性用浴場『鶴の湯』です。

平成19年3月31日 有馬温泉 月光園 門口

【有馬温泉月光園便り】有馬マニア ~有馬街道を歩く(後編)

今日の月光園便りは有馬温泉から新開地まで、有馬街道の歩き旅の後編です。

箕谷を越えて単調な登り坂をひたすら登っていると、あまり思考力がなくなってきます。歩道があるため危険ということはないのですが、ただひたすらにキツい登りが続きます。

そうしてようやっと峠を越え、楽になったなと思って気楽に歩いていると、どうも周りの景色が予想していたものと違います。おかしいなと思ってコンビニで道を尋ねると、大幅に道を外れて鈴蘭台方面に進んでいたことが判明します。これで軽く30分は時間をロスしてしまいました。もとの有馬街道に戻ったのは午後2時前でした。

そこからまた歩みを進め、小部トンネルという500mほどのトンネルにさしかかります。今回の旅でここが一番の難所だったかもしれません。トレーラーなど大型車が通る度にトンネル内にものすごい風が吹いて、風圧で吹き飛ばされそうになります。トンネル内に歩道はあるのですが例によって幅は狭く、歩くのには全く適していません。わずか500mでも非常に長く感じるトンネルで、トンネルを出た後は「外の世界っていいな」と素直に思える心境になっていました。

そこから先は山の中の曲がりくねった道をひたすらに下って行く道です。やはり歩道は狭くて危険なのですが、もういい加減大型車にも慣れてきたのかそれほど怖さは感じなくなっていました。景色もよく、歩道さえ整っていたらハイキングコースになるかもしれませんね(写真上)。ただ、空気は非常に悪いんですけれども。途中で兵庫区との境の標識を見つけましたが、5時間も経ってもまだ北区にいたということに少しびっくりました。

そこから兵庫区平野町の中、山道をひたすらに下ります。そして疲れきった頃に本当に唐突に、大きな町が眼下に広がっていました。兵庫、新開地、神戸の辺りまで見渡せ、少しの間そこで景色を眺めていました。

そこからは町になっていて、歩道もしっかりしています。途中の祇園町で、有馬街道の碑を見つけました(写真下)。間違いなく有馬温泉から街道を歩いて来たことを実感できて、感慨深いものがありました。その後は本当に普通の町歩きで、商店街の景色にほっとしたり、コンビニに立ち寄ったりしてブラブラと歩いていました。

そして午後4時前、ようやく新開地東の有馬道交差点に到着しました。時間にして7時間弱の歩き旅でした。ようやく歩き終わったという感慨もありましたが、ひたすらに疲れた私はすぐに近くの喫茶店で休憩を取ることに。そこで小1時間ほど時間をつぶしました。

今回有馬街道を歩いてみての感想ですが、あんまり人にオススメできるようなものではないというのが正直なところです。何しろ歩道が狭い箇所が多く、危険を感じることが多かったです。もちろん車で通るだけなら何の問題もないので、有馬街道の歴史を感じる旅には車で行くのが一番かもしれませんね。月光園にお越しいただく際には阪神高速北神戸線など便利なルートもございますので(交通アクセスのページをご覧下さい)、ぜひそちらをご利用下さいませ。

平成19年3月29日(木) 有馬温泉月光園 奥平

【有馬温泉月光園便り】有馬マニア 〜有馬街道を歩く(前編)

先日、有馬街道を丸1日がかりで歩いてきました。今日の月光園便りは本当にマニアックな、有馬街道の歩き旅をお伝えします。

有馬街道という通称はよく耳にしていたのですが、新開地まで続いているとは割と最近まで知りませんでした。神戸まで有馬から歩いて行けるとなると、いつしか一度は歩いてみたいなという思いにとらわれるようになりました。

月光園便り 有馬街道

当日は朝9時すぎに有馬の太閤橋を出発しました。おそらく8時間ぐらいはかかるだろうなと踏んで、早めに出発しました。有馬口駅までは特に問題なく、快適に歩くことができます。

そこから問題だったのは、有馬口駅から唐櫃台駅に至る道です。道には非常に細い歩道しかなく、トラックやトレーラーが通るたびに避けて歩かないといけません。もちろんそんな道を歩いている人は皆無で、この道は完全に車のための道なんだなと思います。ここまで危険な道だと知らずにいたので、こんな無謀な企画を立案した自分自身が信じられないほどです。唐櫃台駅に着いた頃には私はすっかりヘトヘトに。山道で疲れきった私の目には、唐櫃台の町が普段より都会に見えました(写真上)。

そこから先、箕谷あたりまではちゃんとした歩道があり、快適に歩くことができます。途中のレストランで昼食をとったり、スーパーで買い食いをしたりと余裕のある歩き旅でした。このあたりの道から見える景色も良いもので、ゆったりとした気持ちで歩くことができます(写真下)。

普段は電車で通る道ですが、歩くだけで随分と違うものに見えてきます。大池、花山、谷上と、電車で通り過ぎるだけでは見えてこない町の姿があるんだなと実感できます。

ただ、谷上を越えて箕谷あたりから今までの余裕のある道とは違って、登り坂となります。単調な登りが続き、体温は上がる一方で先ほどまでの余裕は一瞬にして無くなります。このあたりに上り坂があると上司に聞いてはいましたが、予想以上の単調さが非常にキツいものに思えてきます。(後編へ続く)

平成19年3月28日(水) 有馬温泉月光園 奥平

【有馬温泉月光園便り】ボウリング発祥の地記念碑


神戸三ノ宮の東遊園地に、ボウリング発祥の地の記念碑があります。とても大きなボールが印象的な記念碑ですね。以前にご紹介したラムネの発明者とも言われるA・C・シム氏の記念碑のすぐそばにあります。

この記念碑は1989年、神戸旧居留地にボウリング設備のあるTHE KOBE CLUBが完成して120年になることを記念して造られました。記念碑にも大きく刻まれているように、1869年に神戸にボウリングが伝来したことになります。

ただ、それに先立つ1861年、長崎に日本初のボウリング場が完成しています。神戸は長崎に次ぐボウリング伝来の地と言えますね。長崎にボウリング場がオープンした6月22日はボウリングの日となっています。

ちなみに有馬温泉内にもボウリング場があり、当館にご宿泊のお客様もご利用になることがあります。

ぽっぷ・ジョイ有馬
TEL:078−904−0900

月光園からぽっぷ・ジョイまでは少し離れていますが、当館マイクロバスにて送迎もできますので、ぜひご利用下さいませ。

平成19年3月24日(土) 有馬温泉月光園 奥平

【有馬温泉月光園便り】手塚治虫と関西


今日の月光園便りは宝塚ゆかり漫画の神様、手塚治虫の話題です。

手塚治虫は大阪の生まれですが、宝塚育ちで当地に縁の深い方です。少年期に宝塚に引っ越して、そこで宝塚歌劇に触れたことがその作品に大きな影響があったことがよく知られています。先日ご紹介した手塚治虫記念館も宝塚にあり、たくさんの方が訪れています。

手塚治虫は1952年に上京するまで、大阪など関西各地で青年期を過ごしています。その後も宝塚に実家があり、そこで仕事をされたこともあります。

手塚治虫というとその話し方からしても、関西のイメージは強くないですよね。ただ、最後の講演が自身の母校である大阪教育大学付属池田小学校であったり、何かしら関西にまつわるエピソードもたくさんあるようです。先日ご紹介した「アドルフに告ぐ」でも神戸や有馬温泉など、私たちにとって地元が舞台になっているのは嬉しいものです。

先日、手塚治虫に関するドキュメンタリーの中でその最後の講演会の様子が放送されていました。命の大切さを子供たちに向かって真剣に、それこそ本気で語っている姿が非常に印象的でした。手塚治虫本人は後輩の漫画家に強いライバル心を燃やしたり、決して神格化されるような方ではなかったようですね。ただ、命の大切さを訴えたりする姿やその語り口調の柔らかさから、やっぱり漫画界の神様になるのかなとも思います。

手塚作品ゆかりの地を訪ねに関西を歩く、そんな旅もできるのかなと考えています。

平成19年3月19日(月) 有馬温泉月光園 奥平